-絶え間なく鍛えた者だけに栄誉が訪れる-

2009-08-03

我武者羅(がむしゃら)

とあるJogNote友の日記で「...夢中で走った...」というフレーズを読む。夢中で...頑張っている様子の分かるうっとりする言葉だと思った。

僕の場合、どちらかというと「我武者羅(がむしゃら)」という言葉の方が好きだったりする。広辞苑で意味を調べてみると

血気にはやり向うみずであること。むちゃくちゃに振舞うこと。また、そういう人。
ということ。微妙に大人げないな(苦笑)。

ただ、最近「我武者羅」なんて言葉をとんと聞かなくなったな。ほぼ死語なんだろうか。
確かに褒め言葉じゃないけど、人生の中で我武者羅になにかをする一瞬や一時期はあっていいと思う。というかあるべきだな。

2 コメント:

吉田 さんのコメント...

おはようございます。

どこかで読んだ一節ですねw

私はこの46年間というもの、何かを100%の力でやったことがありませんでした。いやらしい言い方になりますが、そこまで力を出さなくても大抵のことは出来ていました。(出来そうもないことは最初からやりませんでしたw)

一昨年の夏に突如、「何かを頑張ってやろう」と思い立ちました。そして自分が頑張っている姿を見て、周りの人や子供達が何かを感じ取ってくれればいいと。自分が頑張ってやれれば何でも良かったのです。それがたまたまマラソンであっただけです。

ネットでNAHAマラソンの記事を目にしたある日、私は「フルマラソンを走ってみよう」と決めました。このような経緯で一昨年の8月の終わりに原宿のニューバランスでシューズを買い、9月より走り始めました。陸上経験も何もない私が取り組んだのは、まず情報収集です。
そんな時にたしろさんのブログと出会い、いつも食い入るように読んでおりました。たしろさんのブログは本当に勉強になりました。最初はROMだけだったのですが、次第にコメントやメールのやり取りをさせて頂くようになり、アドバイスもたくさん頂戴し、感謝しております。色々なことを自分なりに消化しながら、自己流の練習を週に2-3回やり、3ヶ月後の12月、沖縄の南部路を駆け抜けました。当日は友人が大挙して集まってくれ、18km地点で私設エイドを開設してくれ、元気をもらいました。そして感動のゴールではみんなが待っててくれました。スタートラインを越えてからゴールまでの5時間ちょっとの間、マラソンは今までの人生にはない素晴らしき経験をさせてくれました。

このレースで私は3回泣きました。沿道の応援で泣き、苦しくて辛くて泣き、そしてゴールして泣きました。今まで流したどんな涙よりも素晴らしい涙でした。その時初めて思ったのは、マラソンって一人じゃできないということです。周囲の支えがあってこそ自分が走れるのだと・・小出道場の時にも書きましたが、「走ることはすなわち感謝なり」と実感しました。自分の頑張っている姿を見て、周りに何かを感じ取ってもらおうと思ったマラソン。実は私自身が「何か」をたくさん感じ取ったみたいです。

私はたしろさんの全快を誰よりも願っております。その時は一緒に「我武者羅」に走りましょう。来たるべく日に恥ずかしい走りをしないよう、私はずっと「夢中」で走り続けていますので・・

吉田@911carrera

たしろ さんのコメント...

To:吉田さん
おはようございます。
「夢中」って素敵な言葉ですよね。本当にウットリしました。

僕は「我武者羅」にせよ「夢中」にせよ、どこか「自己を超越」したところで頑張っているイメージを持っています。

「走ることはすなわち感謝なり」
その通りですね。一体どれほどの人達の支えがあって自分は走れるのか...

はやいところ走れる身体になって、我武者羅に取り組むことで感謝の気持ちをあらわしたいと思います。
必ずや夢中で走る吉田さんに追いつき、いつまでもどこまでも併走したいと思います。