-絶え間なく鍛えた者だけに栄誉が訪れる-

2009-02-25

どうして?

どうして?と聞かれると返事に困ることがたくさんあると思う。

ついこの間も雪が積もっている氷点下の中「走りに行ってくるね」というと女房に「どうして?」と聞かれる。
どうして?と聞かれることには慣れているが、やはり即答できないことが多い。
自分にとって「当たり前のことをきかれるのは愚問だ」からだ。
これは自分にとっては当たり前であっても女房にとっては「異常行動」にしか見えないのだろう。
僕が惚けて「季節や外気温や外の状況を把握できなくなった」と思ったに違いない。

冬場で走っている量が減って体重も増えたし、腹も締まりがなくなったから寒いけど2時間くらい走ってくるね。
と返答して出かける。

さりげに答えたこの返事の内容は「季節は自覚しているぞ。寒いのも分かっているぞ」という宣言があって、「走る為の目的」と「その所用時間」で構成されている。
しかし、この返事にはほんの少しの嘘がある。JogNoteをごらんの方ならご存じだろうが、僕の体重は増えていないし、概ね横ばいながらも長期的には微減傾向を維持しているし、毎朝の腕立てのおかげで一時よりは遙かに腹のゆるみはない。
僕は答えの「目的」の部分をすり替えて返事をした。正しくは「長期的にはマラソントレーニング」の一環である。短期的には「白糠町ロードレース」の対策の為に走る。
正しい目的を告げるとそれはそれで「どうして?」と聞かれることが予測されたので、目的をすり替えたのだ。
「どうして、いまから(雪解け後のマラソン大会の為の)練習が必要なのか」
「どうして、まだ寒い時期にマラソン大会があるのか」
が、あらかじめ理解してもらえていないと彼女のひとつの質問に3つ(いや、もっとそれ以上だろう)の答えというか説明が必要になる。それが僕には途方もなく面倒に感じられたので嘘というか方便を使ったのだ。

さて、前振りが長くなったが読者の方から直接メールで私信を頂戴した。
「どうして伴走に興味をもったのですか?」という内容だった。
答えに窮するのである。先ほどの女房との問答と同質の面倒くささがある。

各方面に批判を浴びるかもしれないが、正直に言うと
「直感的にやってみたいと思った」
というのが本音だ。
誤解されると困るが「あ、やってみたい。」「やりたい。やりたい。」ということではない。きっかけは「直感的」だった。ということ。
「奉仕」とか「社会貢献」とか「弱者保護」とか「人助け」とか「健常者の使命」とか全然考えていない。(結果として、そうなるという点については否定しないが、そうしようと思っているワケではない)

ランニングに限って言えば、要伴走者は伴走者が必要という「たったひとつの条件が満たされるだけ」で、いわゆる健常者ランナーと一緒に走れる方達だから、僕がなにかしてそれが奉仕になるとか社会貢献になるとかいうほどの彼らは弱者だとは思っていない。

僕はただ走りたい人を応援したいと思っているだけだ。応援は誰でもするでしょう。
たまさか応援の対象がブラインドランナーであり、その応援の方法が伴走だということを書いているに過ぎない(他人にとっては異常、あるいは非日常であっても、僕にとっては「応援の方法」としての伴走はいくつかある方法の一つであり、僕はランナー(単に走ることに慣れている人という意味)だと思っているので他の人(単に走ることに慣れていない人という意味で、伴走をしないランナーを意味するものではない)よりも立ち位置が伴走側に寄ることは必然なのだと思っている。)。

今の僕にできることは多くない。なにより、まず伴走の実際(心得、技術)を学ぶことが先決な妄想伴走者だ。だから、練習としてスケジュールが合えば喜んで散歩のお伴でもしたいとも思っている。
そして、自分がソロで走るレースとのスケジュールとの調整の上で伴走可能な大会や練習スケジュールを明確にし、自分に可能な伴走をすることしかできない。とも付け加えねばなるまい。(勝手、わがまま、気ままに読めるかもしれないが、僕にできることの範囲をハッキリしておかねば双方に良いことはないだろうと思うから主張だけはシッカリしておきたい。)

それを承知でオファーがあれば僕は体張って応援する覚悟は持っている。

なので、僕の技量や都合に合わない東京マラソンで伴走者が足りないという記事を見て「くやしいだろうなぁ」と当事者の心情を思うけれど、はせ参じてまで伴走したいとは思わないし、それをできない自分を情けなく思う気持ちだって微塵もない。

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